KENZOは時計もタイガーでダサくてポップ

KENZOは、1970年にファッションデザイナー高田賢三氏により設立されたファッションブランド。和洋折衷の大胆な作風は、当時より国内外のファッション業界から高い評価を得ており、日本のみならず、世界のファッション業界を牽引したデザイナーであり、ファッションブランドです。現在では、LVMH傘下に入り、高田賢三氏はデザイナーからはブランドから手を引いています。このブランドが手掛ける時計は、KENZOらしい奇抜な印象を与える時計が主流です。意外にも価格はリーズナブルです。

70年代を生き続けるKENZO

KENZOは、今でも誰しもが知るファッションブランドです。洋服はもとよりアイフォンケースや時計まで、ビビットなデザインを提示し続けてくれています。

そもそもKENZOは、若くして装苑賞を受賞した俊才のファッションデザイナー高田賢三氏が1970年にパリで設立しました。そのブティックの名は「ジャングル・ジャップ」と、これまた奇抜な名称でした。活動を始めて早くに、ELLEの編集長の目につき、パリモード界デビューを果たします。もとより、コシノジュンコや金子功などと文化服飾学院での同期である高田賢三氏は、1970年代のパリモード界、いや、世界のファッション界をイブ・サンローランと共に牽引してきました。

ファッションブランドとしてのKENZOは、1993年に世界のファッションブランドグループ、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)の傘下に入り、高田賢三氏は1999年にブランドからは一線を退くことになります。けれども、KENZOブランド自身はその後も別のファッションデザイナーの手で行き続け、今もなお、ウンベルト・リオンとキャロル・リムをクリエイティブディレクターとしてKENZOらしいファッションを展開し続けています。

ダサくてポップなKENZOブランド

KENZOのブランドイメージは、設立当初のブティック名「ジャングル・ジャップ」や、長らく使用されているモチーフのタイガーにも表れている奇抜さです。欧米に存在する日本及び日本のファッションへの偏見を逆手にとったネーミングやデザインこそ、かつてのKENZOブランドの真骨頂でした。

それがよく表れているのは、和洋折衷のデザインでしょう。和服の裁断と洋服の立体裁断を織り交ぜたデザインは、KENZOの西洋に対する態度が単純なアンチテーゼではなく、皮肉めいたファッションそのものなのです。これは、1970年代以降のフランスで見られる対アメリカ文化へのエスプリの効いたフランス人精神やその発露と通うものです。だからこそ、受けいれられたのであり、今でも別のデザイナーの手により、その精神が息づいているのでしょう。

現在のKENZOで息づいているKENZOらしさと言えば、タイガープリントのTシャツやスウェットでしょう。単純なプリントシャツと言えば、そうです。ただ、それなりに時代を築き、世界に名の通ったブランドのTシャツがこれなのです。世に問うべきメッセージをプリントしているのでもなければ、実用性のみを追求したシンプルなTシャツでもありません。これが現在のKENZOです。

タイガーモチーフは、ブランド然とした格調高さを壊すだけでなく、実用性のみのシンプルさを追求するだけでもありません。見ようによってはダサい虎のモチーフTシャツが、個人の自己表現としてのファッションに寄り添うという皮肉めいた結果をもたらしてくれています。

KENZOの時計に息づくKENZOらしさ

このKENZOブランドのエスプリは、時計にも息づいています。現在、ラインナップに並べられているKENZOの時計は、機能としてはシンプルなステンレス製のクオーツ時計です。価格も3万円前後とお手頃なお値段です。その文字盤の中央には、KENZOのロゴと、タイガーモチーフを据えるという、大胆にして奇抜なデザインです。配色も黒などもありますが、ハイカラなパステル色や、パープルなどもあるという奇抜さです。

ここで言及すべきは、お決まりのロゴとタイガーモチーフを文字盤にドーンとあえて据えている点でしょう。このデザインは、ある側面ではダサくてチープにも見えます。しかしながら、よくある名の通ったブランドの格調高さと、それを見る人々のスティグマを逆手にとった気軽でポップな度胸は、ぐるっと回ってお洒落でポップに映るものなのです。

大ブランド然としたデザインへの皮肉めいたポップなデザインと、かつてのKENZOブランドの自己パロディ的なデザイン。このエスプリの効いた態度は、そのまま1970年代そのものであり、西洋に挑戦した高田賢三氏の精神と技法そのものです。

現代の時計を知り尽くしたKENZOの時計

時計というものが、単純に時刻を知り、ファッションのなかで重きを成した格調高い知の集積たる道具ではなくなった現在。偶然か必然か。KENZOブランドの時計は、この時計斜陽の時代におけるエスプリをそのまま体現しています。

昨今の時計は、それなりのクオーツを積んでいれば、時刻もほとんど狂いません。手間暇も要りません。デザインに関しても、スイス産高級ブランドのような華美な感じや、セイコーの上級品のようなシンプルだが実用的な印象なんて、フォーマルやカジュアルの垣根、伝統とポップさの垣根が崩れている現在において、必須の印象ではないのです。

フォーマルへの弑逆としてのカジュアルでもなければ、単純な実用性や機能性偏重でもない、KENZOのスタンスは、本当のダサくてかっこいいファッションとして使える時計を産み出しています。

こうした時計に込められた度胸は、そのまま現在のファッションのあり方、自己表現としてのファッションを追求するあり方そのものです。フォーマルやカジュアルという軸でもなければ、実用性、機能性を軸にするわけでもありません。フランス的な臭いエスプリと、日本的な卑屈な度胸の発露そのものなのです。

KENZO時計の奇抜さが若者の自己表現に

KENZOブランドの人気が確たるものであることは、インスタグラムなどのインターネット上の自己表現の場を垣間見れば、すぐにわかります。やはりそこで目につくのは、タイガーTシャツやスウェットです。海外の若者が、ダサくてポップなTシャツを自然と着こなす姿は、ファッションが自己表現そのものであることを体現しています。スーツを着て中身も会社員然とした人間になるのではなく、シンプルで機能的なカジュアルファッションを至高のものとして位置づける宗徒になるのでもありません。古来よりファッションは自己表現なのです。それをKENZO時計のタイガーが教えてくれます。